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無用放談vol.1【書店の未来探究】影山知明×筧裕介
「書店とカフェは、地域のために何が可能か」

思いもしない知と出会い、新しい何かを生み出すきっかけとなるような時間をゲストや参加者とともにつくることを目指すイベント「無用放談」の第1回を、BOOK SHOP無用之用にて、2020年7月に開催しました。第1回のゲストは、東京・国分寺市で「クルミドコーヒー」と「胡桃堂喫茶店」の2軒のカフェを営む影山知明さんです。

外資系コンサルティングやベンチャー企業への投資事業の創業に携わるなど、長く経験されたビジネスの世界から一転、「クルミドコーヒー」をスタートさせた影山さん。

「事業計画はつくらない。植物が育つようにお店をつくる」という言葉の通り、つくり込んだ計画に沿ってお店づくりを進めるようなことはしません。国分寺という地域で、スタッフやお客さん、他のお店との偶然の出会いから紡がれた関係性が、カフェという場を通して、出版事業「クルミド出版」や地域通貨「ぶんじ」、学びの場「クルミド大学」などさまざまな形に展開されています。

今回の無用放談では、国分寺の地でカフェを始めたきっかけや経緯から、10年以上にわたりお店を続ける中で大切にされてきたキーワード「ギブから始める」「不特定多数でもなく特定少数でもない”特定多数”」にまつわるエピソードをお話しいただきました。

カフェの価値はなんだろうという問いの中で、「カフェの本質は土である」という考えに辿りついた、という影山さん。

「今、ほとんどの場所が、行って目的を果たして帰るだけの場所になっているのではないかと思います。ゆっくりとした時間軸の中で、自分に向き合える場ってなかなかないんです。でも、カフェは残された数少ないオアシスじゃないかと。そういう意味でのカフェの可能性をすごく感じています。」

土はそれ単体ではあまり役に立たない。食べられるわけでもなく、子どもが投げて遊べるくらいかもしれない。それでも、土がなければ種は芽を出せない。土が養分や水分を貯めて、結果的に種から芽が出て、やがて木になり、実が育っていく。

カフェは土のように、お客さんやスタッフ、地域の仲間たちを受け止め、本人でさえ忘れかけているような、その人の中に眠っている種に向き合う時間と場所をもたらすことができるのではないか、と語ってくださいました。

Synergy Dialogueでは、影山さんとissue+design代表/BOOK SHOP無用之用共同店主・筧の対談部分をレポートします。

自分が何を好きで、何を美しいと思っているのか、その感覚を持つということ

筧裕介(以下、筧)
 2008年に実家を建て替えて始まったというクルミドコーヒーですが、カフェを始めようと思ったきっかけはどのようなことでしたか

影山知明(以下、影山)
 西国分寺という駅自体は栄えてはいないのですが、実家のあった場所は駅から近い(祖父母が家を建てて15年後に駅ができた!)ので、集合住宅かなにかにすれば、住んでくださる方がいるかなとは思っていました。

でも、隣に住んでいる人が誰かもわからない、挨拶もしないという集合住宅にはしたくなかった。そうではなくて、一定の距離はちゃんと保ちながらも、同じ地域に住む人同士が関係を育てながら暮らしていくような、シェアハウスのような場をつくりたいと考えていました。ただ、それだけだと建物の中のコミュニティになってしまう。

そこに地域と上手くつながることのできる風穴が開いていれば、それは住んでいる人にとっても、地域にとってもいいのではないかと思い、その”風穴”に相当するものがカフェかなと考えました。縁側やお座敷、内側でもあるけど外側でもあるような、中間領域をつくることができないかと。

ただその時点では、あくまで僕は企画者で、自分自身がそのカフェの経営をするとは思っていなかった。どこかテナントに入ってもらおうという気持ちだったのですが、いろいろな人に相談しているうちに「自分でやったら?」と言われ「じゃあやるか」と。だから当時はカフェをやりたいという気持ちは全くと言っていいほどなかったし、コーヒーそのものもそんなに好きというわけでもなかった。でも、始めてみて3〜4年経った頃からでしょうか、「俺はカフェをやるために生まれてきた」と思うようになりましたね(笑)。

不思議なものだなと。天職って言いますけど、私は天職って意外に自分からつかみ取るものではないという考えです。何かの拍子に呼ばれるような、何かよくわからない、引きずり込まれて行ってみたらそれが自分の天職だった、というような。


 僕もその感覚はわかります。もともと、広告やデザインの仕事は何も興味がなかった。なんとなく流れてきたらその先にいる、という感じ。でも「これが自分の天職だ」と感じない中でそれを掴むっていうのは難しくないでしょうか?どういう感覚でしょう?

影山
 やはり、なにかしらピンとはきたわけですよね。「ピンときた」という感覚を辿ってみたいと思います。

まず新卒で就職したコンサルタント会社を辞め、次はどうしようかなと考えた時、自分の中で「コンサルタントを極めていくとすごく客観的な人間になるな」と感じていました。コンサルタントは仕事の性質上、客観的な説明がひたすら求められる。ずっと続けていくと「正しい答え」をなんとなく言うことは上手になっているのですが、結局自分は何が好きで、何を美しいと思っていたのか、そういうことはどんどん忘れていくなと思ったのです。

だから、次の職場ではできる限り意識的に、自分は何が好きなのかをはっきり言うようにしました。言葉にしてみると、やっぱりその通り好きだった、いや、好きじゃなかった、というように、チューニングをすることができます。大きなことから小さなことまで何かを選ぶときに、正しいか正しくないかよりも、好きか嫌いかの気持ちを大事にした。その習慣があったから、カフェという選択肢が出てきたときに、ちゃんと自分が反応できたのではないかと思います。

頭で考えると、カフェをやることの意味や期待、成果を説明することは難しいけれど、いやでもそっちに行った方がいい気がするという、自分の中の自分がちゃんとキャッチしてくれたのだろうなと思います。

無理矢理ではなく、自然と芽が出るタイミングを待つ


「事業計画は作らない」という話は要するに、論理的にこう進むということを決めず、感覚的に判断していくことだと捉えています。具体的にどのように取り組んでいるのでしょうか?その感覚的な判断ができるために必要なことはなんでしょう?

影山
 経営の用語で言うとPlan Do SeeまたはPDCAと言ったりしますけど、僕らのやり方は「Do See Plan」です。

チームの中で、新しいアイデアが出てきた時に、「何で?」「どういう成果が期待できるの?」「うまくいきそうなの?」と聞きたくなるじゃないですか。でも、最初からやることの意味や目的、成果が完璧に説明できなければいけないとすることで、犠牲になっているアイデアやエネルギーがたくさんあるなと思っていました。だから僕らは、チームの誰か一人でも本気でやりたいと思っているのであれば、それに取り組む理由としては十分だというルールになっています。

もちろん実行してみた結果、進め方をもう少し検討した方がいいね、とか、こうした方がもっとよかったねと常に学習していくことは大事です。

それって結局は、人間が生きるプロセスそのものだと思っています。赤ちゃんって別に計画的ではないですよね。勝手にぶつかるし何か口に入れるし食べるし。でも、そこから学んで、何かを身に着ける。本当はそれがすごく原始的な生命の形なんじゃないかと思っているので、そういうやり方をしています。


 自ら何かやりたいという思いを持つ、やりたいことをやる、それが難しい人の方が多いなという感覚を持っています。特に賢い大学に通うような学生って、自分がやりたいことというよりは、どちらかというと正解探しから始まる傾向が強いのではないかと思います。そういう人たちがやりたいことを見つけやすくするような工夫はありますか?

影山
 やりたいことをちゃんと自分で言葉にする、ましてそれを行動に移すということはすごく大変ですよね。

あなたの時間の全てを自分のやりたいことに使いなさいと言われたら、多くの人は苦しく感じるのではないでしょうか。「誰かに命令してもらう方がいい」という思いを持つ人間の心理は当然かもしれない。だから、やりたいことが言葉になってない、別にそんなものあるわけないという人にとって「それでもちゃんと居場所や役割がある」という安心感はやはり大事です。カフェで働くということには、お店のシフトに入って仕事をするという大事な役割がまずあります。その役割を果たしながら、そこに自分の存在意義を感じながら、でもそれだけではない余白の中で、何か自分のやりたいことが徐々に見つかってくるということはありますから、まずはそうしたバランスをつくることができるといいかもしれません。

そして、その自分なりの「何か」に気付くきっかけは、周りの人を応援していく過程で見つかることが多いなと感じます。僕が「こういうことやりたい!」と言うと、「自分にはやりたいことは別にないけど、影山さんがそう言うんだったらお手伝いしたいです」と参加してくれる。それはそれで一つの自分の発露ですから、その過程で、この人、こういうことすごく上手だなとか、得意なんだということが見えてきたりするんです。それを伝えてみると「いや実は昔からこういうの好きで…」って言われたりして、「じゃあここでやってみたら」と、ちょっと水を向けてあげることで、もう水が流れるように動き出すということはありますね。


 水の向け方がけっこう大事ということですか?

影山
 タイミングはありますね。「いつまでにあなたが自分のやりたいことを絶対に形にしなければいけない」と言われたら嫌じゃないですか。そうじゃなくて、いつでもいいと思うんです。

種がいつ芽を出すかというのは誰にもわからない。植物って不思議で、芽を出しちゃうともうその先、日や水の加減で枯れてしまうことは大いにあるけれど、種の状態だったらずっと待てる。で、ぱっと芽が出てくる人もいれば、5年、10年とかかる人もいて。それぞれの芽が出るタイミングで、どう?って、ちょっとつついてあげる。あんまりせっついて、どうにかやりたいことを引き出してやろうみたいなやり方は、僕の場合はしていませんけれど。


 時間軸を長く持つようなことが、いろいろな意味で大切なんでしょうか?

影山
 そうですね。総じてそういうことがあるかもしれません。

誰かにとっての「土」であるために


 カフェの本質は「土」で、いろいろな人が誰かと話をしたり関わり合ったりしながら、内発的なものとの出会いをもたらす場だという話はとても共感しました。そういう場になるための工夫や、そのためにやっていることはありますか?

影山
 例えば、カフェのメニューの話。今、メニューにいかにシズル感のある写真や映える写真を載せるか、というのが飲食店の常識です。至れり尽くせりですよね。でもその状況って、お客さんは全て設えられた中にいて、自分で選んでいるようで選んでいないのではないかと思います。

クルミドコーヒーに、ケーキの間にアイスを挟んだ「クルミドアイス」という商品があります。僕らはメニューに写真を載せないので、「8種類のアイスから選べる」「当たり外れがある」という説明を読んだお客さんから「当たり外れがあるっていうけど、どのアイスがおすすめですか」と聞かれ、会話が生まれることがあります。多くのお店だと、一番人気の味を教える、あるいは粗利率が高いものとかロスになりそうなものを勧める場合もあるかもしれませんね。

僕は、スタッフに「自分の好きなアイスを答えて」と言っています。
スタッフが「私はイチゴとキャラメルの組み合わせが絶品だと思います」と伝えて、「そうですか…じゃあミルクと木の実で」というように、聞いておきながら全く違う選択をするお客さんもいますが(笑)、そこでやりとりが発生します。お店の一番人気を答えるだけだったらロボットでもいい。でもその人の好きなものは、その人にしか答えられない。結果的に違うものを選ぶとしても、「このスタッフさんはイチゴとキャラメルが好きなのね」ということを感じた上での選択になっている時点で、そこにはもう関係が成立しているんだと思います。

こんなちょっとした重なりがあるかないかで、お客さんがその場にいるときの主体性の度合いが大きく変わってくる。自分は「お客さん」としてそのお店のマナーに従って振る舞うだけなのか、お客さんとしてだけではない自分をすこしずつ出していいという空気を感じられるのか。それによって、例えば最後の会計の際に交わす言葉なんかも変わってくることがあります。

もちろん、大人数が参加するようなお店でのイベントを通じて、お客さんとスタッフ、お客さん同士が知り合うこともあります。でもそれ以上に、一人一人とのお店での出会いややりとりで、お客さんの心持ちも変わっていくということをとても強く感じます。

お客さんやスタッフが、クルミドコーヒーという場との関わりが増えることも一つのきっかけとなってその人自身が少しずつ変わり、新しい内発的なものが生まれていく。そう信じているし、実際、出版業や音楽コンサート、最近ではお米づくりなんかも始まりました。

支援的な姿勢でいると、必ず循環して返ってくる


 人と人が利用し合う関係と、高め合う関係についてお話しいただきましたが、人ってやはり利用し合ったり、どうしても自分の利みたいなものに支配されて人との関係をつくってしまったりしがちだと思います。でも、そこから支援し合うような形に関係性を変えていくために、何かポイントや気を使っているところはありますか?

影山
 気をつけるべきことや手法のようなものもあるとは思いますが、僕がいつも意識していることは、例えば今日、筧さんとの対話の中で僕自身が支援的になれているかどうか、そういうことはいつも考えます。つまり、僕が言いたいことや僕が何か売り出したいもののためにこの場を使うということではなく、筧さんや片山さん(無用之用の共同店主)がここで表現されたいと思っているメッセージのために自分が自分の経験に基づいてお伝えできることがあったらいいなと、そんな風に考えます。

だから、支援し合う関係というのは、すぐに目の前の人との間柄において実践できることです。職場に限らない。誰かと話をするときに、その人が持っている何か、その人が言葉として発したいと思っている何かのために自分が力になってあげようとする。相手をより引き出すために自分に何ができるのかと考えることは、日常的な習慣として僕の中に定着してきた感覚はあります。そうするとチームのスタッフだけでなく、本当に世の中との関係がうまくいくなと感じています。

そういうことを続けていると、その結果、僕にとってもとてもありがたい形になって何かが返ってくる。だから、自分を犠牲にしているという感覚ではないんです。

影山さんを囲んで、筧とBOOK SHOP無用之用店主の片山

(編集後記)
クルミドコーヒーが地域にとってどのような存在でありたいか、そこを目指すためにどのような工夫をされているのか、というテーマをお話しいただきましたが、お店のあり方だけでなく、人と人との関係性のつくり方や、自分の働き方・生き方を考える際のヒントをいただく時間になりました。影山さん、ありがとうございました。



影山知明(かげやま・ともあき)
1973年東京・西国分寺生まれ。東京大学法学部卒業後、マッキンゼー&カンパニーを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立。2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウス「マージュ西国分寺」を建設し、その1階に「クルミドコーヒー」を、2017年には国分寺に「胡桃堂喫茶店」をオープン。出版業や書店業、哲学カフェ、地域通貨、米づくりなどにも取り組む。
著書に「ゆっくり、いそげ〜カフェからはじめる人を手段化しない経済〜」(大和書房)、「続・ゆっくり、いそげ 植物が育つように、いのちの形をした経済・社会をつくる」(査読版、クルミド出版)。

筧裕介(かけい・ゆうすけ)
特定非営利活動法人イシュープラスデザイン代表
1975年生まれ。一橋大学社会学部卒業。東京大学大学院工学系研究科修了(工学博士)。2008年ソーシャルデザインプロジェクトissue+designを設立。以降、社会課題解決のためのデザイン領域の研究、実践に取り組む。
著書に『持続可能な地域のつくり方』『ソーシャルデザイン実践ガイド』『みんなでつくる総合計画』など。

イベント開催概要
日時:2020年7月30日(木)19時30分〜21時
会場:BOOK SHOP無用之用