1日数回だけ姿を見せる水没した歴史遺産
2022.07.27
——— ここは、大陸のはるか東方に位置する島国。異国からはるばるこの地を訪れ旅する、一人の女の子の物語。悠久の歴史と四季折々の豊かな自然、世界最先端のクールな文化あふれる国…と聞いていたのですが、赴く先々には赤い雲が広がり、なんだか様子が少し違うようです…。
次の目的地は、千年以上の歴史を持つ由緒正しき浸島神社。かつては、干潮時は歩いて渡れ、満潮時は一部海の中へ隠れる鳥居が名物で、神社自体は陸上に存在していました。しかし、今では様変わりしてしまったようです。さて、旅先でしたためた少女の日記をのぞいてみましょう。
わたしが神社につくと、海に人がいっぱい!浜辺には、なんだか行列もできていた。 なんの行列かと思い覗いてみると、そこには「水中参拝」の文字が。「参拝方法」と書かれた大きな看板には、マスクと酸素ボンベをつけて水中社殿に参拝している人の姿。水中参拝なんてまるで聞いたことがないわ。私があまりにもじーっと看板を見つめているものだからか、列に並ぶ人が声をかけてきた。
「列の最後尾は向こうだよ!水中に沈んだ鳥居と境内が見られるのは、もうあと数年の間だけだから君も見てみるといいよ。」
人でごった返した海の方を見てみると、確かにみんな一生懸命に潜っている。あの下に境内があるなんて信じられない。何で沈んじゃったの?と聞いてみると、
「なんか詳しくはわからないけど、急激に海面が上昇してしまっているんだよ[11]。急激に暑くなったせいで、海に浮かんでた大きな氷河が溶けて海面が上昇したり[18]、暑くて水温が上がったせいで海水が膨張してるなんてネットに書いてあったよ。ここの神社だけじゃなくて、海面下に沈んでしまう離島もあるらしいよ。」
出発前に読んでいたガイドブックでは、この神社の境内から海の中に沈む鳥居を眺めたり、潮がひいた時に歩いて鳥居まで散歩するのが名物と書いてあったんだけど、どうやら海面がどんどん上がって、神社自体が海の中に沈んでしまった[31]みたい。今では、鳥居は1日二回の干潮の時だけちょっぴり水上に顔を出すようになったらしい。海水によって、沈んでいる境内も鳥居もだいぶ朽ちてきているみたい[32]だけど、その姿もまた神秘的なんだとか。
海面から鳥居が姿を現わす瞬間も見たい気がするけど、干潮まではだいぶ時間がある。せっかくここまで来たんだから、わたしも水中参拝に挑戦してみることにした。長いこと列に並んで、やっとわたしの番が来た。何人かで屋形船に乗り込んで、社殿の近くまで移動するらしい。とっても趣のある屋形船の上で、物々しい酸素ボンペをつけて海に潜る準備をしている姿はなんだかシュール。
船頭さんの合図で、私は勢いよく海に潜った・・!目が慣れるまでよくわからなかったけど、遠くにぼんやり海底神殿みたいな神社が見えた時は、とっても神秘的で感動した。これは確かに、並んでまで見る価値があったかも。ふわふわした海藻がついたり、お魚が通り抜ける大きな鳥居を眺めながら少しずつ近づいてやっと境内についた。ポケットに忍ばせておいたお賽銭を投げてみたけど、全然お賽銭箱まで届かなくて少しずつ底に沈んでいった・・。
ちょっと悲しい気持ちになったのも束の間、すーっと海底に太陽の光が差して、海底に落ちたたくさんの硬貨に反射してキラキラときらめいてとっても綺麗。これの光景はなんだかご利益ありそう。
なんとも神秘的な水中参拝を終えて、ゆっくり海辺を歩いていると、ちょっと雲行きが怪しくなってきた。雨でも降りそうな予感。空を見上げる私の横で、同じように雲行きを伺う人とばったり目があった。
「これはちょっとまずいかもしれないね。年に数回、豪雨や大型台風が来ると[03]、この辺りは、波が高くなって海面がぐ〜っと上がる高潮が起こりやすくなるのよ[15]。予報だと今日はまだ、大丈夫だと思うけどね。この間、私のおとなりの人が高波に飲み込まれそうになったって。ご近所の人の中には、身の危険を感じて移住した人も結構いるのよ[31]。」
人が飲み込まれるだなんて・・。ここ数年は、高潮の頻度も高まっているそうで、住民さんだけでなく被害にあった観光客もいるらしい[40]。それでも、この鳥居の姿をみたいという観光客は後を立たないそう。
あたりを見回すと、「避難経路」と書かれた看板、矢印があちこちにあった。私が不安そうにその経路を目で追っていると、
「あぁ、避難経路の案内ね。何年か前、こうやって列に並んでいる観光客を直撃してね。あの年は、この看板もまだなくて、みんなパニックになっちゃって・・・。押せよ押せよの大混雑、避難が本当に大変だったのよ。その教訓を得てこの看板が設置されたってわけ。ちゃんと避難経路には灯りもつくから夜になっても安心よ。そんなに怖がらなくても大丈夫、地元の人間も避難には慣れっこだから、何かあったら周りの人についていくのよ」
まちの散策を続けていると、突然、お巡りさんに声をかけられた。
「ちょっとそこの君、水害自己責任同意書を見せて。え、持ってない?それは、だめだよ、今すぐ書いてきてね。このまちを歩くときには、水害事故や怪我は自己責任だと同意書で認めてもらわないといけない決まりなんですよ。ここでの事故・怪我をきっかけに、働けなり生活が苦しくなり、訴訟を起こす人が続出しているんです。水害保険に加入することもオススメですよ。」
そんな同意書があるなんて初めて聞いた。案内されて、水中参拝の行列の近くの記入場所についた。水害自己責任同意書を1枚と受付の人に頼むと、「ご祈祷つきの同意書50,000円もありますがいかがなさいますか?」と聞かれた。高額な金額に驚きつつもちょっと気になったけど、さすがに買えなかった。そんなの買う人がいるのかなとおもったけど、さっき住民さんの話を聞けば、神にもすがって安全でありたい気持ちなのかもしれない。なんだかドキドキしながらも、わたしは同意書にちゃんと記入をした。
日も暮れてきたし、何かお土産を買いたいなともって、神社の近くの売店に向かった。さっきの警察官から、浸島神社には、高潮や水害から身を守ってくれるお守りがあると聞いていたのだ。
売店には、お土産がいっぱい。海を泳ぐ鹿のマスコットに、綺麗なお魚でいっぱいの海中社殿キーホルダー、カエデ饅頭、崩れ落ちた鳥居の破片まで売ってる!確かにご利益がありそう・・。だけどやっぱり、これから始まる旅の安全を願って、このお守り”浸ラズ守り”にしよう。
お守りを持ってレジに向かったのだけれど、レジに表示された金額は3,000円・・!思わず「高いっ…」と言ってしまった。すると店員さんが私に教えてくれた。
「最近また税金が上がったから仕方がないの。災害が増えたことで、この町の農園や工場などもたくさん被害を受けて、道路や建物ももうぼろぼろ。地域の景気はどん底よ〜。いろんなところで復興のお金も必要だから、お上の財政もしんどいらしいよー。消費税は30%だし、お土産なんかには15%の観光税も加わってるのよ。」
そういえば、ここに来るまでの道路もひび割れと穴だらけで、家が壊れたままでビニールをかぶったところもたくさんあった。確かに、それだけ災害が多い中でここに住む人たちが暮らし続けるにはたくさんお金が必要なんだろうなぁ・・・。
とはいえ、お財布にそんな余裕はない。私は泣く泣くお土産を諦めた。ああ、浸ラズ守り、欲しかったなあ。
この島の歴史的遺産、浸島神社に行けて参拝もできてとてもよかった。でも、予想以上に鳥居が沈んでいたし、ましてや神社全体が海の中だなんて想像もしていなかった。10年後にはもうないんだろうなあと思うと、なんだか切ない気持ちになる。
次はどこに行こう。美味しいものでも食べたいな。
【 このエピソードに出てくる未来事象 】
[03]ゲリラ豪雨の増加
[11]海面水位の上昇
[15]河川氾濫・高潮・高波
[18]凍土・雪氷の融解
[31]低地・沿岸部の水没
[32]自然・文化遺産の損傷・消滅
[34]地場産業の衰退
[39]地域外への人口流出
[40]被災者の増加
気温上昇に伴った氷河の融解と海水の膨張により、地球の海面水位は年々上昇している。このままのペースで海水面上昇して行くと、2100年には1.01m、2300年には最悪の場合15m以上上昇することが予測されている。
海氷面積は温暖化の影響で確実に減少しており、全て溶け切るまで残り30年を下回っている予測もある。ウイルスの放出や生き物たちの生息地の消失に加え、海水面の上昇等に繋がり、遠い世界の氷河の融解は私たちの暮らしにも大きな影響を与えている。
7mの海水面上昇が実際に起きた場合、都市の沿岸部が水没してします。首都圏では東京都西側を中心に埼玉県、千葉県の主要部分もしっかりと水没してしまっています。第2の都市である大阪では、大阪湾沿岸部に加えて大阪市の東側まで水没。愛知県を中心にした中部地方でも、内陸県である岐阜県まで海が広がってしまっています。海水面上昇により日本の海岸線がどんどんと侵食され、海の底に沈み始める土地は増える一方です。
2007年、ユネスコは『気候変動と世界遺産のケース・スタディ(Case Studies on Climate Change and World Heritage)』を発表し、世界中で気候変動により脅かされている26件の世界遺産のリストを発表した。リストに含まれているオーストラリアのグレートバリアリーフ、イタリアのベネチア、ウェストミンスター寺院など、誰もが知っている世界遺産は、そう遠くない未来には消滅しているかもしれない。
本エピソードで描かれている気候変動に伴う未来の出来事の因果関係は次のマップの通りです。
気温上昇による氷河や永久凍土の融解、海水温上昇による海水の膨張により、海面上昇が止まりません。この現象は、目に見える変化が分かりづらく、変化を実感しづらいのですが、数年、数十年、数百年という年月をかけて、少しずつ少しずつ上昇しているのです。
海水面の上昇により、河川氾濫・高潮のリスクが高まります。沿岸部や川沿いの平地が繰り返し浸水し、農地、漁港、工場などの職場、住宅地などの物理的被害が繰り返され、住民の暮らしが脅かされることでしょう。最悪の場合、生命の危機にもつながります。より安全な場所を求め、地域外への移住者も増えることでしょう。
自然災害が増加すると、文化遺産の損傷リスクも高まります。地域の文化的象徴が消滅することにより、観光業は衰退し、地域住民の郷土愛も失われます。気候変動は、何百年何千年と培われてきたこの国の文化・自然遺産を一瞬にして消滅させてしまう危険性をはらんでいるのです。
参考リンク
IPCC 第5次評価報告書(AR5)
IPCC 第6次評価報告書(AR6)
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